メディアアートとHCI研究

  • 中小路久美代(東京大学先端科学技術研究センター/株式会社SRA先端技術研究所)
  • 江渡浩一郎(産業技術総合研究所/東京大学大学院情報理工学研究科)

ヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)分野には,メディアアートやインタラクティブアートに関わるツールやシステムが発表されることがよくあります.今年で11回目を迎えた「インタラクション」会議では,特にインタラクティブ発表セッションにおいて,毎年数多くのメディアアート作品が発表されてきました.情報処理学会論文誌のインタラクション特集号においても,毎回何件かのメディアアートに関する論文が投稿されています.

このような現状を踏まえ,メディアアートに関するツールやシステムを,HCI研究会としてどのように評価するべきか,またどのように捉え論文やデモ発表として投稿するべきか,ということを考える必要に迫られてきているように思います(ここでいうメディアアートとは,広く情報処理技術を用いたアート作品またはそれに類するシステムを指します).たとえば,インタラクションのインタラクティブ発表では,申込件数の増加から,「学会として公平な立場で,参加者の利益となるような発表を厳正に選ぶ」ことが必要となってきています.これを踏まえ来年からは,インタラクティブ発表を従来の論文発表とは別の選定委員会で選出しようとしています.

情報処理学会は,情報処理に関する技術とそれに関わる人間および社会の諸問題に関して,工学的,科学的なアプローチをとる研究を取り扱ってきています.その意味で,投稿されるメディアアートに関するツールやシステムを,芸術的な価値で判断することは目指してもいないし,また求められてもいないと考えます.それでは,メディアアートに関わるツールやシステムは,情報処理学会における研究とどのように関わり得るのでしょうか.文化庁メディア芸術祭や,Ars Electronica とは異なる視点で価値を見出すことが重要なのではないかと考えます.

インタラクションやHCI研究会で発表されてきている従来のメディアアートには,「技術のスーパーデモ(岩井俊雄氏談)」的な側面をもつものが多くあったように思います.開発した技術のある側面をより的確に表現するために,美的側面を考慮した構築されたデモシステムです.この場合,主張の趣旨はあくまでベースとなっている新規技術であり,デモシステムはその説明のための手段に過ぎません.

それに対して,ベースとなっているのは既に知られている技術で,それを用いて実装しているメディアアート作品があります.ベースの技術は既知ですから,技術自体を主張するものとは成り得ません.しかしながら,デモそのものが,HCI研究的な価値を有するように思えてならないものにしばしば出会います.その価値はどこにあるのか,を三つ考えてみました.

(1) value of packaging

既存の技術を組み合わせて,新たな利用シーンに適用しているようなツールやシステムです.重要となるのは,組み合わせる際の細部のデザインとなります.

(2) value of technical tweaking

作品の一部または全部を可能としている,技術の細部に関わるチューニングのアイデアを主張するようなツールやシステムです.

(3) value of cultural and social implications

既存の技術が及ぼし得る社会的,文化的影響を示唆するようなツールやシステムです.

このほかにも,HCI研究的に見た際の,多様な価値が存在し得ると思います.何よりもまず重要なのは,そういったメディアアートに関わるツールやシステムを構築した人が,それぞれ,自分で何を面白いと思って,なぜそれをしたのか,ということを考え,素直に説明することだと思います.そうすることによって,技術やその組み合わせ,その細部の設定や微調整,それが示唆する人類に対するインパクトの大きさ,などを,価値として主張することができます.そういった価値の軸そのものが,それらのツールやシステムの意義となると考えます.

では,なぜこのような価値がHCI研究で重要となるのでしょうか?

ひとつの理由として,HCIに関する技術には,それが目指すべき方向が自明でないことが少なくない,ということが考えられます.たとえば音声認識技術であれば,より精確に,より短時間で,より少ない学習データで音声認識ができる方が良いというのは自明です.その結果,コミュニティとして,ベースとなるデータセットを規定し,それを各研究者が用いて音声認識技術を競う,ということが可能となります.それに対して,インタラクティブシステム研究では,たとえば,使い易さ,という一見自明な目指すべき方向があります.「使いにくいシステム」と「使い易いシステム」とがあれば,使い易いシステムの方がより良いように思えます.しかしながら,使い易い,ことを一元的に数値化できる訳ではなく,そもそもそのシステムが目指しているゴール(たとえば発想支援システム)を鑑みると,使い易い,ということの指標として何を用いて,それをどうしていくべきか,が自明とは成り得ません.(もちろん,キーストローク分析といった,細かいレベルで目指すべき方向が自明な研究テーマも多くありますが.)

芸術作品は,自分で目標を設定し得ない限り意味がなく,存在し得ないと考えます.メディアアートに関わるツールやシステムも同様に,作者がその意味や意義を自ら設定し主張することが必要と考えます.その意味や意義が,HCI研究における工学的,科学的価値と結びつけば,十分にHCI研究として価値のあるものとなり得ると考えます.「このツールは,使い易さを目指したものではなく,人間のxxxという認知的特徴を体現するために構築したものである.より的確に体現するために,xxxといった技術的な詳細を工夫している」とった説明があれば,いたずらに,ユーザによる使い易さのアンケートを実施する必要はなくなると考えます.

もちろん,このような価値は,主観的なものとなりがちです.論文査読者や審査に関わる者が普遍的にそのような価値判断をすることは難しく,個々人によって価値評価基準のバラエティが大きくなると考えられます.結果的に,どの審査員,どの査読者が選定した研究か,といったことを明示化する必要が出てくるかもしれません.その意味では,アートの世界でどのキュレーターが企画した展覧会か,といったことが重要となるのと同様に,どの査読委員が選定した論文か,といったことが重要となるとも考えられます.

しかしながら,そもそも論文の特集号にゲスト編集委員長が設定され,学会に論文委員長が選定される理由は,そういう異なる価値観を取り入れるためではなかったと考えると,実は,現状の研究コミュニティにおけるやり方と,そんなに大きく異なる訳ではないような気もします.

HCI研究の多くは,客観的な価値基準で判断できるようなものではないと考えます.といったことを考えさせてくれるという意味でも,メディアアート系の論文やツールが,今後もHCI研究分野で発表されることを,強く願う今日このごろです.

Last modified: 2008-03-07